France / Alsace
Maison Lissner メゾン リスナー
· Riesling Rothstein 2023
品種 リースリング
白 750ml
ロットシュタインは、メゾン リスナーが居を構えるヴォルクスハイムの西側に位置する区画で、村の正面に広がる畑とはテロワールが異なり、当然個性の異なるワインが生まれます。
暖かみのあるヴォルクスハイムに対し、ロットシュタインはよりシャープで鮮烈なミネラル感が特徴。緑がかった石を打ち付けたときのような硬質な印象に、柑橘や青リンゴ、山椒のニュアンスが重なります。大ぶりのグラスに注ぐと香りが一気に広がり、山中の森を思わせる静謐さのある気品を感じます。
このワインは、自然農法で栽培されたブドウから自然酵母の力のみで発酵させ、厳密な濾過(ろか)や清澄も行わず、瓶詰めに至るまで亜硫酸塩(酸化防止剤)の添加を行いません。
他の多くのメゾン リスナーのワインと同じく、抜栓後数日たってもバランスを崩すことなく、長く安定した味わいを楽しませてくれます。
(インポーター資料より)
Maison Lissner / Riesling Rothstein 2023
造り手:Bruno Schloegel ブリュノ シュルーゲル
夜も深まり、あたりに静けさが満ちた頃。
教会の聖堂のような部屋にピアノの音色が響きわたる。
さっきまで試飲を行っていたこの部屋は、一瞬にして劇場へと変わった。「収穫の後や剪定の季節は、ピアノを弾くのが難しくなる」
少し悔しそうに語るのが、この聖堂の主、ブリュノ シュルーゲルだ。
現在のメゾン リスナーは、2001年にブリュノ シュルーゲルが、叔父であるクレモン リスナーが所有していたドメーヌを引き継いだことによって始まった。現在は、ブリュノとその息子であるテオの2人によって運営されている。アルザス北部のヴォルクスハイム村に居を構え、グラン クリュ(特級畑)を含む9haほどの畑を所有している。
このメゾン リスナーに関しては、語るべきことが無数にある。
そんな中でも欠かすことができないのが、彼らの畑での仕事とそのアプローチだ。
ブリュノとはじめてコンタクトをとった時、ある印象的な言葉が投げかけられた。
「私のワインは自然派とは呼ばないで欲しい。」
メゾン リスナーの畑に赴くと、一目で隣人との境界が見て取れる。
ブドウの蔓(つる)先は決して切られることなく奔放に伸び、畝(うね)と畝(うね)の間には季節折々の野花が自生し、鳥が落とした種子から発芽し、成長したであろう樹木も生い茂る。
昆虫をはじめとした動物たちも、ある者は花に誘われ、ある者は隠れ場所を求め、ある者はその日の糧を得るために集まってくる。
メゾン リスナーでは、耕耘(こううん)は行わず、下草の除草も年に一度だけ。この唯一の例外は、収穫の直前時期で、これは人間が畝(うね)を通って収穫しやすいようにするためで、この時期に地際(じぎわ)よりもやや高い位置で刈り倒すのみ。
こうして、畑に集まってきたありとあらゆる生命のアンサンブルを育んでいる。
「私の畑では、大地に近い場所に、様々な植物や動物、菌、微生物が競争的環境で共生している。こうした共生環境が、ベト病などの菌が増えていく障害となっている。防除は行うが、そのタイミングはこの地域の他の畑よりも1-2週間遅くなる。それは、ベト病の菌が他の畑で充分に増えて優勢になり、宙に舞うようになってから私の畑に降ってくるからだ。」
「この地域の多くの畑では、ベト病の原因となる菌は下から、つまり土からやってくる。しかし、私の畑ではベト病は空からやってくるんだ。」
そんな空から降ってくるという菌から果実や葉を守るように、生き生きと伸びた蔓たちは、初夏の頃には緑のトンネルとなる。
「ベト病の菌は光を嫌うので、空から舞い降りてくる菌たちをトンネルの外にとどめることで、菌の活発な活動を妨げているんだ。」
この伸びた蔓の先(徒長枝)を切らないもうひとつの理由があり、それは果実の成熟に関係すると言う。
「成長期にあるブドウの徒長枝を切ってしまうと、ブドウは再び葉を増やそうとエネルギーを使い始め、あらたな蔓を伸ばそうとする。植物には、自分自身の身体を育てよう、守ろうとする栄養成長期と子孫を残すために種子の成熟に集中する生殖成長期があり、生殖成長(果実の成熟)に移行しようとする時期に徒長枝を切ってしまうと、果実の成熟に使われるエネルギーが失われてしまうのだ。」
メゾン リスナーの畑はどれも非常に野生的だが、それらは決して放置されたわけではなく、「行動しない」という決断を下したに過ぎない。「何もしない」ということも含めた全ての選択に理由があるのだ。
「私の仕事は、観察すること。畑を歩いて、ブドウや他の生物の声を聞くことが仕事なんだ。」
と話すブリュノに、「だとしたらあなたは指揮者だね。ブドウや野草、昆虫や鳥といった多種多様な生物が歌い、音楽を奏でている畑という名のオーケストラの。」と伝えたところ
「いや、ブドウ畑は、指揮者のいないオーケストラだよ」
と笑って答えてくれた。
そんなブリュノ シュルーゲルにとって、「自然」や「天然」と訳される ”naturel” や ”nature” という言葉で語られる農業は、人間が『行動しない』という決断からあまりに遠く離れてしまったのだと言う。
「科学者・音楽家・哲学者でありながら『明日のための今日の農民』でもあった、福岡正信の著書『わら一本の革命』、この本の中で使われている彼の農法を翻訳した言葉 ”sauvage(ソヴァージュ:野生の)” が、私のワイン造りに紐づく概念だと考えている。」
「人間が権力と知識に染まった姿勢をとり、『行動しない』という決断からあまりに遠く離れてしまっている ”naturel” や ”nature” よりも、私はこの言葉を好んでいる。もしあなたが私の事を日本の友人に紹介する折には、福岡正信が使ったであろうこの言葉で紹介してほしい。」
福岡正信が提唱した農法は、日本語では「自然農法」と呼ばれ、様々な植物のほか、昆虫やミミズなどの環形動物を含む動物、微生物などの多様な生物の営みに寄り添い、「無農薬・無肥料・不耕起」を原則として作物を得るという農法とされる。
ブリュノ シュルーゲルは、直接的に福岡正信の思想に影響を受けたわけでない。ただ、自身が思考と試行を重ねて行き着いた農のありかたを共有できる友人がいたことに喜びを感じたのだと思う。
ブリュノ シュルーゲルと対話を重ねていくなかで感じることは、彼らの自然農法は、けっして神秘的な力や奇跡に頼ったものではないということ。
その証拠に、はじめてブリュノを訪ねた時にまず始まったのは、あらゆる資料やデータを見せながら繰り広げられる講義だった。
なぜ下草を除草すべきでないか
徒長枝を切らないことはどう作用するか
ブドウの栄養成長と生殖成長
ビオロジックやビオディナミ栽培を実践している隣人の畑との土壌の違いすべてに理由があり、すべてに洞察がある。この日々の徹底的な観察と深い思考の積み重ねが、類まれなメゾン リスナーのワインを生み出している。
ブリュノ シュルーゲルはいつだって大切な事を教えてくれている。
それはワインの世界に留まらず、この世界を観察する上での重要な視点をも与えてくれる。
ひとつでも多くの言葉を聞くために、私はまたアルザスに向かうことになるのだろう。
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野生の畑に立つ哲人
そのボトルのことを考えるだけで、胸が高鳴るようなワインがある。
わたしにとっては、メゾン リスナーがまさにそんなワインの1つ。彼らは自分たちの畑を「ナチュラル」とは呼ばない。彼にとって、自分たちの畑は「ソヴァージュ(Sauvage)」らしい。日本語にすれば、「野生」のこと。
実際、夏に彼らの畑を訪れると「もじゃもじゃ」だ。
除草はしない。
畑も耕さない。
ブドウのツルも、伸びたいように伸ばしておく。近隣の生産者からは、「変人」だと思われていても不思議ではない。あるいは怠け者か。
でも、当のブリュノは、怠け者でも変人でもない(いや、少し変人かもしれないけど)。わたしにとって彼は「哲人」だ。
皆が「当たり前」だと思っていること。
その当たり前に疑問符を突きつけてくる。「どうして草を刈るのか?」
「なぜ畑を耕す必要があるのか?」ごく普通のワイン生産者がこう答えると思う。
「草を刈らないと湿気がこもってブドウが病気になるし、栄養も行き渡らない。」
「耕さないと土が豊かにならないだろ。」定番の答えだ。
でも、そうやって完璧に管理した畑を実際に観察してみたらどうだろうか。
毎年病気は避けられずに防除を重ね、すっかり裸にされた地表には微生物も住みにくそうだ。リスナーの畑は、ずっと少ない防除でも育っているし、収穫量も現実的な量が取れている。
「トラクターのためにローンを組む必要もないし、無駄なガソリンも必要ない、それでもちゃんとブドウは実るのだから、経済的にも問題ないんだよ。」
「答え」より、「疑問」を分かち合いたい
ブリュノは決して、他の生産者を挑発しているわけではない。
彼はいつも言う。
「私は『答え』を共有したいんじゃない。『疑問』を共有したいんだ」と。
わたしたちはいつもベルトコンベアの上に乗っかって、考えることをやめてしまってはいないだろうか。
トラクターのローンを払い、マニュアル通りに畑を耕し、当たり前のように草を刈る。それが本当に正しいのかどうか、立ち止まって考えることもせずに。
わたしたちの毎日の暮らしだって同じようなものだ。
いつものルーチンを当たり前にこなしているだけ。ブリュノは、そのベルトコンベアからひらりと飛び降りて、「なぜ君はそのベルトに乗っているんだ?」と問いかけてくる。
生命力はストレスで育まれる
彼のワインが、なぜこんなにわたしをワクワクさせるんだろう。
これはわたしの勝手な仮説だけど、その秘密は「ストレス」にあるんじゃないかと思う。
わたしたち人間だって、本能に従って食べ、本能に従って惰眠を貪るだけでは、不健康になってしまう。
適度な運動で身体を刺激し、時には食事を断って身体の眠っていたシステムを再起動する。そんなストレスによって、健康になり、生命力は強化される。
赤ワインやオリーブオイルが健康に良いなんてのも、実はストレスの一種だ。
こうした食品に含まれるポリフェノールは、ある種の「軽い毒」であり、それが身体を刺激する。彼らのソヴァージュ(野生)な畑も、同じことだ。
他の植物と水や栄養を奪い合い、成長を競い合う。そういう「競合」や「ストレス」を乗り越えたブドウだけが、あの圧倒的な「表現力」を手に入れることができる。
理想のワインは、水かアートか
ワクワクするワインというものには2軸あると思う。
ひとつは、「液体の中に、何か特別なものが存在する」と感じるような芸術作品(アート)みたいなワイン。
もうひとつの軸は、それとはずいぶん違うところにある。
もっとシンプルで、もっと日常的なもの。
そもそもワインというのは、昔々、安全な水が簡単に手に入らなかった時代に、保存が可能な「安全な水」として飲まれていた。
暮らしの真ん中にあって、乾いた喉を潤す、いわば「水」としての存在。そういう、すうっと体に染み込んでいくようなワインにも、強く惹かれる。
この「アート」と「水」は、ずいぶん対照的にも思える。
そして、「どっちつかず」なワインは「どうもいまいち」に感じてしまう。「水のように」飲めるワインを目指した結果、ただ薄っぺらいだけの「水っぽい」ワインになってしまうのは、よくある話で、それはわたしが求める「水」とは、似ても似つかない。
かといって、「複雑さ」だの「偉大さ」だの、あるいは「テロワール」だのを詰め込もうとして、肝心の「生命力」が抜け落ちてしまうと、それもまた退屈な代物でしかない。
実を言えば、この「アート」と「水」は、いつか融合するんじゃないか、と密かに思っている。
熟成による時の魔法はきっとその融合に一役買ってくれると思う。
どんなワインも、長い長い時間をかけて、ゆっくりとシンプルなものに還っていく。
まるで、生まれたての「水」に近づいていくみたいに。その行き着く先を知るためには、わたしたちも長生きしなければいけない。
ワインの熟成と競争でもするみたいに。メゾン リスナーのワインは、わたしに長生きしようとするモチベーションを与えてくれるワインであることは間違いない。
これからも、ずっと人生が楽しみだ。
(インポーター資料より)

